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▼「居徳遺跡」で講演 松井章氏(奈良文化財研究所主任研究官)
弥生文化を先取りか 人骨に異常な傷 魂戻らぬよう損壊?
2002/04/23高知新聞朝刊
土佐市の居徳遺跡群から出土した獣骨を「傷あとのある人骨」と鑑定した奈良県・奈良文化財研究所主任研究官の松井章氏がこのほど、南国市の県立歴史民俗資料館で「居徳人骨に見られる殺傷痕と損傷痕」と題して講演した。平和な時代とされた縄文時代に戦争の可能性を指摘した同氏の講演要旨を紹介する。
■骨の穴に興奮
居徳遺跡から運ばれてきたコンテナの骨を見て人骨があるのはすぐに分かった。成人の大腿(たい)骨に穴を見つけて興奮した。
この穴の断面はまんじゅう形。電子顕微鏡で見ると、穴の周りに骨の一部が内側にめくれ込んでいる。こんな断面形を持ち、貫通力のある鏃(やじり)は、シカの足の甲から作った骨鏃(こつぞく)しかあり得ない。さらに穴の裏側の骨が周辺ごと吹っ飛んでいた状況も矢による貫通痕だと断定した理由だった。
一方、貫通痕の反対側、股(また)に近い方には直線的な切れあとがある。九州大学の中橋孝博教授は、「輪切りにするように骨の裏側まで通っている」と鑑定された。こうした傷は石器では不可能だ。青銅器で可能かどうかはまだ分からない。
■強い憎悪感じる
しかし、居徳遺跡の時代(二千七百―二千八百年前)には突き刺す道具としての剣はあっても、切り付けるための刀は存在しないようだ。中国でも鉄の作り始めの時期。人骨の年代測定を準備しているが、この年代のものだと証明されれば、さらに大きな問題になってくる。
一センチ幅の三日月形の傷あとがたくさん見られる人骨があるが、これはノミのような刃物で突き刺した傷だろう。電子顕微鏡で見ると真ん中が浅く、両側は深い。浅い部分は刃こぼれと考えられる。同様の傷がイノシシの骨にも付いており、刃物を使い回したことが分かる。非常に重宝していたのだろう。
ただ、戦闘での死者や普通に死んだ人を捨てたとしても、ばらばらにした上、刃物で突き刺すようなことはしない。中には連続して八カ所も傷が付いている骨もある。死者に対する加害者の強い憎しみを感じる。
現代で言えば、民族紛争のような集団間の非常に強い憎悪。さらに想像を膨らませれば、死んだ人間に対する畏怖(いふ)や恐れから、魂が戻らないように死体を徹底的に損壊したのではないかと思う。
■「異人」との戦いか
居徳遺跡は漆の製品や東北地方の土器が出てきたり、非常に特殊な遺跡だ。
たとえば、シカの角をくりぬいて工具の柄にした骨角器も出ている。これは朝鮮半島で多く出ているが、日本では弥生時代に伝わり、縄文時代にはなかったとされる。
しかも、朝鮮半島の骨角器は石器ではなく、ノミやナイフがはまっていた。鳥取県の青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡でも同様の柄が出土し、ノミのような鉄器がはまっていたとされる。居徳の骨角器もそうだったのではないかと想像する。
出土した獣骨の中に犬の骨もある。ほかの獣骨の状況も考えると、食べていたのだろう。弥生時代の遺跡には犬を食べた痕跡があるものもあり、その点からも居徳遺跡が縄文文化の伝統を受け継ぐものではなく、弥生文化の先取りをしたものではないかと考えられる。
そう考えると、人骨の傷も、居徳遺跡周辺に住みついた弥生人の先駆けというか、土着の縄文人とは異質の「異人」が土着の縄文人と戦い、付けたものではないかとの推測も成り立つ。人骨の傷は歴史教科書を書き換えるほどの価値があるだろう。
ただ、居徳遺跡の時代から弥生時代が始まるまでには数百年の隔たりがある。その辺をどう解釈するか。遺物の整理が進めば、石器や土器にこれまでの「縄文」の範ちゅうから外れる点が出てくるのでは、と期待している。
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