日本人はどこから来たのか
2009-08-16


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更新世から縄文・弥生期にかけての日本人の変遷に関する総合的研究
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研究班の構成
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<画像説明引用>

画像上:日本人形成過程のシナリオ
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まず、アフリカで現代人(ホモ・サピエンス)にまで進化した集団の一部が、約6〜3万年前、東南アジアや東アジアへやって来て、その地の後期更新世人類となった(@A)。

次いで、更新世の終わり頃、約1万年前までに、東アジアや東南アジアの後期更新世人類が日本列島に到達し、その子孫が日本列島全体に広がって縄文時代人となった(BC)。

同じく更新世の終わり頃、北方からも日本列島へ移住があり、それが縄文時代人の形質に地理的勾配を生じさせたかもしれない(D)。

他方、後期更新世のいつの頃か、もとはと言えば縄文時代人などとルーツは同じだがシベリアや北アジアで寒冷地適応した集団が東進南下し、少なくとも6000年前までには中国北東部、朝鮮、中国の黄河流域・江南地域などに分布して、その地域の新石器時代人となった(E)。

そして、縄文時代の終わり頃、中国北東部から江南地域にかけて住んでいた人びとの一部が朝鮮半島経由で西日本に渡来し、先住の縄文時代人と一部混血しながら、広く日本列島に拡散した(FG)。

これが弥生時代以降の本土日本人の祖先である。この渡来民は沖縄の人びとにも遺伝的影響を与えたが、アイヌの人びとにはあまり影響しなかった。アイヌは縄文時代人が少しずつ変化して生じた人びとである。


画像下:弥生時代の枠組み変化による日本人起源仮説への影響の検討
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最近、弥生時代の開始期が従来考えられていたよりも500年も遡るかもしれない、という新しい年代測定結果が報告された。もし、そうであれば、当時の北部九州人の形態が縄文人的なものから渡来系弥生人的なものへと変化した事実を、これまでのように渡来民の人口増加率を高く見積もらなくても無理なく説明できるのではないか、と考えられる。

 そこで、この仮説を計算機シミュレーション的に検討した結果、やはりその可能性は十分にある、つまり、より自然な低い人口増加率でも十分に集団の形態変化が起こりえた、ということを明らかにした (中橋, 2005, 2006)。
[JAPAN]

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