今話題の小熊英二氏の「1968」をまずは書評から読む
2009-08-27


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上下巻あわせてなんと14280円。高い、高すぎる。
それでも買うべきか、やはり借りるべきか、それとも書評だけで読んだ気になるべきか・・・。
あなたはどうする?!


<書評引用>

▼「1968 上下」小熊英二著 「学生反乱」敗北の全体像
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 上下二千頁(ページ)を超える大著の重さが主題(「一九六八年」の学生反乱)の重さを語りかけてくる。上巻の表紙は、ためらいがちにヘルメットの紐(ひも)をしめようとする長い髪の女子学生の写真である。この女子学生は、ヘルメットが機動隊よりもさきに内ゲバから身を守るものであることを知っているのだろうか。

 彼女の心象風景と重ね合わせるかのように、著者は冒頭で別の女子学生の言葉を引用する。「(活動家の話を聞いて)感動しました。とてもすばらしいです。でも私には何もないの。それでは闘ってはいけないのでしょうか?」。本書はこの言葉で始まり、この言葉の再引用で終わる。

 学生反乱はなぜ起きたのか。貧しくても正しい戦後民主主義の時代から豊かではあっても偽りに満ちた高度経済成長の時代へ、この急角度な変動の過程で、社会に大きな断層が生じる。パンドラの箱を開けたかのように、亀裂から空虚感、閉塞(へいそく)感などの「現代的不幸」が飛び出してくる。

 本書は、この「現代的不幸」に直面した若者たちの思想と行動の軌跡をたどりながら、「一九六八年」の学生反乱の全体像を明らかにしようとするものである。

 上巻は希望の書である。学生反乱は出発地点において改革志向だった。前近代的な大学経営を批判し、「教授・職員・学生三者」でカリキュラム改革に取り組む。学生たちの要求は正当なものだった。要求の実現に向けて、彼らはバリケードを築く。バリケードのなかの「コンミューン」は明るく解放的で、規律とモラルが確立していた。

 彼らの要求は、実現困難なものへとエスカレートする。運動も孤立していく。学生反乱が失敗に終わったのは、国家権力の介入よりも、党派間の主導権争いや「一般学生」、市民との連帯が乏しかったからである。学生反乱は、社会(少なくとも大学)を変えることができたはずだ。その機会をみすみす逃したことが悔やまれる。

 下巻は絶望の書である。希望から絶望へ、そこには「一九七〇年のパラダイム転換」があったという。この年を境に学生反乱は変質した。戦後民主主義と近代合理主義を批判し、戦争責任を追及する「自己否定」のための社会運動から離脱者が続出する。

 一切の支持を失った運動の末路に同情の余地はない。連合赤軍事件について、従来の解釈過剰を批判し、厳密な事実確定作業を経たうえで、著者は、非合法集団の幹部たちが下部メンバーの逃亡を恐れて殺害した「小事件」だったと断言する。これが事件の真相だったにちがいない。

 二千頁を読み終えても、その場を立ち去りがたかった。敗北が無念だったからだけではない。冒頭の女子学生の疑問にどう答えるべきか、考えあぐねて、確信が持てなかったからである。

 東大安田講堂の攻防戦で、学生を逮捕したある機動隊員が「ホントはこんなことやりたくないんだ」とかばった。六〇年代末の新宿「街頭闘争」で、瀕死(ひんし)の機動隊員のうえに一人の女子学生が全身でかぶさって救った。このような挿話のなかに、わずかではあっても可能性を見出そうとするのは感傷に過ぎるだろうか。

 本書は、今日に続く「現代的不幸」を克服するための手がかりを与えてくれた。あとは彼らの失敗をどう活(い)かすべきか、私たちが考える番である。

 ◇おぐま・えいじ=1962年、東京生まれ。慶応義塾大学教授。『単一民族神話の起源』でサントリー学芸賞、『〈民主〉と〈愛国〉』で毎日出版文化賞、大佛次郎論壇賞。


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